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目に見えている世界は自分だけのもの?人それぞれ違う「現実」と思っているもの。

 
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ウェルビーイング・ライフコーチとして、身体的・心理的・社会的に充実した生活を送るための心理教育とコーチングを行なっています。

●ウェルビーイング心理教育ナビゲーター
●TCS認定コーチ

こんにちは。

すずきだいきです。

 

今見たじゃん。なんであの人覚えてないんだろう。物忘れ激しすぎじゃね?

だいき

 

もしかしてあなたはこんなことで悩んでいませんか?

  • 子どもが全然、伝えたことを覚えていない。
  • 同じ仕事をしているのに、仕事の理解が職場の人と全然合わない。
  • 夫が宇宙人なんじゃないかと思えてくる。

 

同じ場所にいて、同じことを見たり経験したりしていたはずなのに、なんでこんなにも感じ方が違うんだろうか?って思うことないでしょうか。

ある時には、「あれ?なんか夢でも見てたのかな?」と思うほどに、記憶そのものが違うこともあります。

 

どうしてなんでしょうか?

 

実はこれ、人が現実を捉える時には、その人が持っている固有のフィルターを必ず通るからなんです。

人ってそもそも、見たり聞いたりして、ふれている世界の中からほんの一部分を切り取ってしか物事を捉えられないんですよ。

 

さらには、その人の興味関心によって全然違うものが切り取られ、理解され、記憶されていきます。

人には限界があって、現実にあるものをフラットな視点で見ることってできないんですよね。

 

つまり、私たちが「現実」って呼んでいるものって、そもそも人によって全然違うってことなんです。

 

人が見ている世界は、すでに解釈されている

 人間の脳は毎秒1100万もの情報を環境から受け取っているが、処理できるのは毎秒40ビットにすぎない。つまりインプットされたもののごくわずかな一部を選択して処理し、対応する必要がある。残りの大部分の情報は捨てるか無視される。従って私たちの現実は「選択されたもの」である。何に注目するかによって、現実をどう認識しているかが決定される。

引用:ショーン・エイカー『成功が約束される選択の法則』p.23

同じ場所にいて同じことを見ていても、人によって捉え方や感じ方がまったく違うのは、人は受け取った情報を常に解釈して処理しているからです。

 

環境から受け取る情報に対して、人間の脳が処理できる量はわずかです。

そして、その情報がどのように人に処理されるのかは、その人の注目しているものに左右されていくんですよね。

 

ありのままの現実は誰にもわからない

つまり、”ありのままの現実”を見ている人は誰もいないということです。

人が見ている「現実」はすべて、すでに脳内で解釈され選別されたものだってことなんですよね。

意味づけのレベルを下げることはできたとしても、なんの解釈もせずにフラットに「現実」を見るっていうことって、そもそも人にはできません。

さらには興味関心がないと、その手前でフィルターを通り抜けずにふるい落とされていく情報さえもあるわけです。

 

ここが、コミュニケーションの難しいところ。

人が「現実」と思っているものって、実は同じではないんです。

 

選択理論では、この”ありのままの現実”のことを「現実世界」と呼んでいます。

選択理論用語「現実世界」

ただそこに存在している現実そのもの。

なんの意味づけもなく、私たちが知る知らないに関わらず存在している。

参考:カウンセラーからのおすそわけ

 

「知覚された世界」|私たちが現実と思っている世界

私たちが「現実」に起こっているものについて話す時、それは「自分というフィルターを通して理解された現実」について話しているだけです。

 

この「自分というフィルターを通して理解された現実」のことを、選択理論という心理学の中では「知覚された世界」と呼んでいます。

知覚とは? by ブリタニカ国際百科事典

一般的には,感覚器官を通して,現存する外界の事物や事象,あるいはそれらの変化を把握すること。広くは,自分の身体の状態を感知することをも含める。

 

概念としての「知覚された世界」とは、私たちが生まれてから今までの間、現実世界から見たり聞いたりさわったりして入力された情報のすべてのことを意味しています。

ただし、実際的に使うことができるのは、その時点で思い出せる記憶だけです。

 

私たちか普通、「現実」として起こったことについて話しているのは、実は「知覚された世界」について話しているということになります。

 

知覚はそもそもズレるのが与え前

この「現実世界」と「知覚された世界」というものを分けて考えることができるか?

というのが、私たちが自分をしっかりとコントロールしていくときの分かれ道となっていきます。

 

それぞれの頭の中で違う「知覚された世界」を、あたかも同一であるかのように扱ってしまうと、どこかでズレが生じるからです。

みんなが同じ「現実」を見ているというのではなく、それぞれが「現実世界」から受け取った情報をそれぞれの知覚、それぞれの視点で見ているということを理解することが大事だということですね。

 

違うが前提。だから調整していかなきゃいけない。

だからこそ

「わかってもらって当たり前」

「人は自分が感じるように感じるはず」

と考えているとミスコミュニケーションが起こり、失敗します。

 

私たちが人と関わるときには、お互いに感じていることや願っていることについて調整をしていく必要があるのだというを覚えておきましょう。

 

まとめ

同じところにいても、人それぞれ現実と思っていることさえ違うんだなあ。

だいき

私たちが知っている現実とは、「現実世界」を、自分というフィルターを通して理解した「知覚された世界」のことです。

人それぞれ違う「現実」を見ているということを知ることが、お互いを近づけていくコミュニケーションのための第一歩なんですよね。

 

自分にとっての当たり前は、人にとっての当たり前ではありません。

そのズレを埋める努力をしていくことができるならば、私たちはコミュニケーションをより良くしていくことができるはずです。

 

学んだことで生き方を変えよう。そして一歩を踏み出そう。

 

 

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