失敗が怖くなってしまう偽りの自己肯定感
僕ってこのままで価値ある存在で愛されてるよね?
だから、なにもしなくたって大丈夫なんだよね?
(あれをするのはうまくいかないだろうから、やめておこう・・・。
すずきだいき
「自分のことを受け入れる」とか「自分のことを愛する」とか、そういうのって大事だって言われますよね。
最近、“自己肯定感”っていうワードをよく耳にするようになった気がします。
でも、これちょっと注意しないと危険な部分もあるよなって思うんです。
失敗が怖くなる”自己肯定感”
“自己肯定感”って、「自分のことが好き、大切」っていう感じだと思うんですけど、
その気持ちを壊さないために
「自分のできることはするけど、失敗することはしない。」
って選択をする人たちっているんですよね。
これって、自分を受け入れているようで受け入れられていない状態なんじゃないかなってぼくは思います。
「うちの息子はなんでもできる子です!」とか言いながら、なんでもかんでも教えて自分で考えさせることもさせないで、レールをまっすぐ敷くめっちゃ過保護な親御さんっているかなと思いますけど、そんな感じです。
受け入れているようで受け入れていない。信じているようで信じていない。
そういう風に育まれる”自己肯定感”は、
だから、うまくいくであろうことを、うまくいくようにやる。
変なプライドは持っているけれども、同時に恐れがある。
自分を成長させるためにとか、実現したい未来のために、リスクを負って一歩を踏み出すのは難しい。
そんな状態につながります。
口では自分自身を受け入れていると言いながら、心では信じることができていない。
そうすると結局、行動にも「自分を信じてないんだな」っていう部分が出てくるんですよね。
かくいうぼくも、そういう自分を抱えながら生きてきたように思います。(きっと今も、、、)
「愛されてるよね。受け入れられるべきだよね。
存在で愛されるべき存在だよね。
だから、頑張れなくったっていいんだ。
(本当は、挑戦して失敗するのが怖い、、、)」
「自分のことを好き」には2つある
心理学者のロイ・バウマイスターはそれまでの研究を分析して、
「自分のことを好き」という言葉が意味することには
大きく分けると2つの種類が存在すると説明しました。
1つは、良いところも悪いところも含めて自分のことを受け入れて「自分のことが好き」と言える状態。
そしてもう1つは、他の人と比べて自分のほうが “いい”と思うから「自分のことが好き」という状態。
前者は「自己受容」ですが、後者には「比較」があります。
「比較の”自己肯定感”」は、うまくいくことにしか挑戦しないような、高いプライドを生み出します。
この2つの違いって同じ“自己肯定感”でも全然違うんですよね。
ちょっと長くなってしまったので、今日はここまで。
「自己受容の”自己肯定感”」はどんなもんか、またの機会に書いてみようと思います。
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※すずきだいきはTCS(トラストコーチングスクール)の認定コーチです。