「自ら幸せを選択し、創造していく生き方」をサポートする"ウェルビーイング・ライフコーチ"のブログ

完璧な親はありえない。弱さを受け入れながら今選べるベストを生きればいい。

 
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ウェルビーイング・ライフコーチとして、身体的・心理的・社会的に充実した生活を送るための心理教育とコーチングを行なっています。

●ウェルビーイング心理教育ナビゲーター
●TCS認定コーチ

こんにちは。

すずきだいきです。

 

うわーやばい。うちの子やっぱ怪獣だ。これ、みんなに見られたらなんて思われるんだろう、、、

だいき

 

子育てのことをブログに書いているので、さぞいい子育てをしているんじゃないかと思われたりもしますが、それなりに悪戦苦闘、試行錯誤の日々を過ごしております。

もちろん勉強しながらなので、それがあってなんとか対応できている部分もありますが、理想からはまだまだ遠い。

 

まあね、でもいいんじゃないかと思っているんです。これで。

だって、完璧であったらいいなとは思うけど、それは無理だから。

 

今ある自分自身のベスト、最上ってやつをどうにかその場面場面で努力して選んでいくことが大事だって思っているんです。

 

むしろ、完璧な子育てなんかを目指しちゃったら最後、子どもの前で偽者の自分をずっと演じていかなきゃいけなくなりますもんね。

しかも、子どもにはちゃんと自分の真のダメな姿が見抜かれているのにも関わらず。

それは悲劇ですよね。

 

完璧を目指すと、自分の首を絞めることになるよ。

完璧主義は、羞恥心からくる守りの姿勢

完璧主義っていうのは、恥ずかしい思いをしたくないっていう人間の心から出てくる守りの姿勢のことです。

でも逆に、完璧であろうとすればするほど、私たちは恥っていうものに追いかけられることになってしまうんですよね。

 

「また、こんなふうに言っちゃった。」

「ちゃんと自分が見ていなかったから、あの子は怪我したんだ、、、」

 

完璧主義の弊害

完璧を目指すと完璧に近づくかっていったら、そうではないわけですよ。

失敗やミス、人をがっかりさせることを恐れるあまり、窮屈な歩みをしていくことになります。

 

果てには、新しい体験や挑戦すること、成長からも遠ざかっていくことになるんですよね。

自分の完璧な姿以外は見せられないということは、失敗しない自分は人前には出せないということです。

そうすると、本来の自分をどこかに隠して、偽りの誰かを演じることになっていきます。

 

完璧主義は、「実際現実にやってくることは絶対にないのに、理想の世界にいる完璧な自分を、追い求め続けている」って状態なんです。

加えて、「周りの人たちにどう思われるのか?」っていうことに焦点を合わせて、自分自身の評価を他人に委ねる生き方です。

 

当然、惨めな気持ちになるんですよ。

ちょっとうまくいく時があったとしても、ある時にはその成功体験がプレッシャーに変わっていきます。

比べればもっとできる人たちっていうのは絶対にいますし。

 

現実の自分は、それほど完璧ではないんですよね。

 

子育てに完璧主義を持ち込むとどうなる?

この完璧主義が子育てに持ち込まれるとどうなるでしょうか?

もし、子どもの前で完璧な自分しか見せられないと思っている親がいたとしたらどうなるでしょうか?

 

  • 失敗を認めることができなくなる
  • 本当の自分を隠すので疲れる
  • 子供の失敗を許せなくなる
  • うまくいかないことがあるとイライラしてしまう

 

自分への厳しさは他者にも向かい、ある時には怒りで子どもを支配しようとするようにもなってしまいます。

 

そんな親のもとにいると子どもは、

  • 失敗を怖がるようになって挑戦しなくなる
  • いつも怒られるんじゃないかとビクビクしてしまう
  • 弱さを受け入れられていないので、優しくなくなる
  • 人に対して怒りをぶつけて、自分の思い通りにしようとする

ようになっていきます。

 

親にとっても、子どもにとってもいいことはありません。

余計に恥ずかしい気分になるだけです。

 

なによりそういう態度は、親子の信頼関係を傷つけるんですよね。

 

完璧に振舞おうとしても、絶対どこかでボロが出ます。

で、確実に子どもにしわ寄せがいくことになりますから、いいことないんですよ。

 

完璧主義はみじめだ。

もし、完璧を目指そうとしているならば、常に不安感や敗北感を覚えてみじめな気持ちになることでしょう。

 

自分が完璧でないことへの、いらだち。

わが子が思い通りにならないことへの、怒り。

そういうものが湧いてくる種になってしまうのが「完璧主義」です。

 

「完璧主義」は上昇志向からではなく、「劣等感」や「羞恥心」から生まれてくるものなんですよね。

 

「できない自分を見たくない」

「失敗する姿は見せられない」

 

その思い自体に間違いはありません。

しかしそれを、「だから完璧にならなければならない」と捉えてしまうと、成長が奪われる結果が待ち受けています。

 

不可能だからです。

自分にとってコントロールできないものを、コントロールしようとする時に、私たちは失敗を繰り返し、みじめな気分で過ごすことになります。

 

適度なところで良しって言わないと。いつまでたっても不合格のまま過ごすことになる。

じゃあ、どうすればいいんでしょうか?

大切なのは、自分自身の弱さとか足りなさを含めて自分なんだって認めることなんですよね。

 

まず「完璧などない」ということを認めること。

そして、今あるもので「十分に間に合う」と満足することです。

 

そうすると、失ったものや手に入らなかったものではなく、これからに目を向けることができるようになります。

 

完璧な親より、失敗しても成長する親のほうがいい

もし、自分の親が完璧で非の打ち所がない人だったらどうですか?

息詰まりますよ。

 

で、そんな親が自分に完璧を要求してきたとしたらどうでしょうか?

もう家出しちゃうでしょうね。ぼくならきっと。

 

完璧じゃなくてもいいんですよね。

弱さや足りなさがあって愛すべき存在。それが人間です。

 

むしろ、失敗しつつも、挑戦していく後ろ姿を見せてくれるお父さんのほうが、僕はかっこいいなって思うんです。

ちゃんと謝ってくれるお母さんのほうが、ぼくは信頼できるなって思うんですよ。

 

子どもは親の後ろ姿を見て成長していきます。

 

弱さや失敗を受け入れてこそ、前に進むことができる

前に進むことが許されているのは、今を受けいれ、現実を味方にしている人だけです。

 

確かに

  • つらい感情
  • してきた失敗
  • 自分の弱さ

を、積極的に見たくないって気持ちはわかります。

でも、こういう感情があったからこそ、今があるんじゃないでしょうか?

 

「できること」があるっていうのは「できないこと」もあるということ。

 

その中で、今の自分を受けいれることができるなら、私たちは一歩前へ進んでいくことができるようになります。

だってそうしたら、「今、失敗しないように」ではなくって、「今をより良くするためにできること」が見えてくるからです。

 

大切なのは今あるベストを選んでいくこと。

わからないんだったら、とにかく探し始めることからしてみればいいんです。

 

まとめ

まあ、自分なんてこんなもんだよね。でも、今の自分にもできることがなんかあるはず。

だいき

ということで、子育てから完璧主義は捨てちゃいましょう。

今できる最善を求めて、それを選ぶ努力は大事です。

 

でも、それが行きすぎて完璧を目指しちゃうと、どこかを土に埋めてなにかを隠すことがはじまります。

 

子どもがのびのび育っていくことをサポートする子育てをしたいなら、自分自身の弱さや足りなさを認めて、人に助けを求めて、信頼して生きることを学んでいきましょう。

ぼくはそうやって生きていきたいです。

 

学んだことで生き方を変えよう。そして一歩を踏み出そう。

 

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